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東洋的な雰囲気を醸し出すクサボケ(草木瓜)の花、可憐な花だ。 野鳥公園、ネイチャーセンター前広場の生垣に沿って咲いていた。 クサボケ(草木瓜)はばら科ボケ属で、学名を「Chaenomeles japonica」といい、「japonica(ジポニカ) 」は「日本の」にちなみ、「Chaenomeles(カエノメレス)は、ギリシャ語の「chaino(開ける)とmelon(リンゴ)」が語源で、「裂けたリンゴ」を意味する。 別名をシドミ(朱留)、シドメ(朱目)、ジナシ(地梨)、ノボケ(野木瓜)、コボケ(小木瓜) とも呼ぶ。 生垣、庭木、盆栽などで艶やかな花姿を見せるボケ(木瓜)は、平安時代に中国から渡来したといわれている。中国ではボケ(木瓜)の実を脚気、神経痛、腎臓病などの薬として利用しており、日本でも最初は薬用植物として伝えられたものと考えられる。日本最古の博物学集成の書にも記述があり、その名残りは,現在,実を漬けこんだ「木瓜酒」として伝えられている。ボケが園芸植物として栽培されるようになったのは,渡来後,実に約700年後の江戸時代になってからである。日本には原産のボケ(木瓜)でクサボケ(草木瓜)がある。このクサボケ(草木瓜)と渡来した中国原産のボケ(木瓜)を交配して新品種が作り出され、盆栽や庭木として珍重された。併し、新品種の作出が盛んになったのは大正初期からで、中国原産の4種類とクサボケ(草木瓜)の交配が行われ、現在では150〜200品種が存在するといわれている。 江戸時代中期には、スウェーデンの植物コレクターのツンベルグが箱根山でクサボケ(草木瓜)を採集し、1796年に日本のボケ(木瓜)として初めて西洋に紹介された。クサボケ(草木瓜)は、花姿から「妖精の火」と呼ばれ、庭園樹として大人気になった。その後,約100年間に多くの園芸品種が作り出され、1869年のフランスの種苗商のリストには実に40以上の品種が掲載されていたそうである。これに加えて、ボケ(木瓜)の実は香り高い実をつけるので、これを衣服中に忍ばせたり、軟らかく煮てゼリーにするなど利用されていたようである。 日本原産のクサボケ(草木瓜)は、名前からすると草のようだが、草ではなく低木であり、本州から九州の日当たりがよい山麓の茂みに多く生育している。地表近くにナシ(梨)のような果実をつけるので、信州などでは「地梨(じなし)」と呼び、秋には原野を歩き回って果実を採取する。果実は酸味が強いので、塩漬けや焼酎漬けにして食べる。かつては、諏訪地方などでは祭りの出店に地梨屋があって、塩漬けの地梨を売っていたと聞いている。塩漬けの地梨を薄く切り焼酎につけて飲むと結構美味だそうだ。 祝儀の時に生けてはならない花として、江戸時代の華道の書に、オニユリ(鬼百合)、ヒガンバナ(彼岸花)と共にボケ(木瓜)が書かれている。これは,ボケ(木瓜)にはとげがあるため、「人を呪詛(じゅそ)(のろい)するときに生ける花」といわれてきたからである。現在では、ほとんど気にされなくなったが、慶事に生けるときには、棘を取り去って生けるそうだ。 「美しい花には棘がある」とよくいわれている。代表的な植物はバラ(薔薇)。実はボケ(木瓜)もばら科の植物。やはり美しい花には棘があるのだろうか………。夏目漱石の「草枕」に次のような一節がある。木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであらう。世間には拙を守ると云ふ人がある。此の人が來世に生まれ變かはると屹度きっと木瓜になる。 余も木瓜になりたい。 ボケ(木瓜)の花を詠んだ俳句2首 「木瓜咲くや 漱石拙を 守るべく」 夏目 漱石 「母を訪ふ ひととき明し 更紗木瓜」 山田 みづえ 花言葉は先駆者、指導者、妖精の輝き、平凡 ポストカード Nikon デジタル一眼レフカメラ D300 AF-S DX18-200 Gレンズキット
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