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花々のよもやま話
カンツバキ (寒 椿)-1
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作成日時 : 2010/12/09 05:00
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カンツバキ(寒椿)の花が12月の空の下で咲きだした。
厳寒の時期にも咲くカンツバキ(寒椿)を見ると、気持ちが和み元気をもらう。
各地方に伝わるツバキ(椿)に関わる伝説や民話、歌劇のあらすじ、逸話について色々と調べてみたことをまとめてみた。
海石榴市の地名起源説話。(椿は古くは「海石榴」と書いて「つばき」とよんでいた)
景行天皇即位12年、天皇が豊後国の石窟に住む逆賊土蜘蛛討伐した時の話である。天皇は来田見邑に留まり、海石榴の樹を採って椎を作って兵器にした。そして猛攻を加え、山を穿ち、草をはらい、土蜘蛛を襲って稲葉川の上で破り、悉く徒党を殺した。流血は兵士達のくるぶしまで浸した。
その為に、その椎を作った場所を海石榴市と呼ぶようになった。また、流血のあった場所を血田と呼ぶようになった。(初出は「日本書紀」巻7・景行天皇紀だが、「豊後国風土記」にも同様の記述がある)
海石榴は中国での名前であり、その後は山茶の字が当てられた。「ツバキ(椿)」は「春を代表する木」という意味が込められた国字である。出処は万葉集の歌だとされている。
「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思はな 巨勢の春野を」 坂門人足
ツバキ(椿)は、日本では数少ない鳥媒花の1ツである。「日本書紀」には、天武天皇に白い椿が献上されたという記述もある。中世においては、朝廷の正月卯の日にツバキ(椿)の木を悪鬼を払う卯杖卯槌として用いた。ツバキ(椿)が春の到来を占う大切な木であったからだと思われている。
愛媛県松山市の伊予豆比古命神社では、旧暦正月七日から九日にかけて椿祭を行い、椿市が立つ。
海石榴市の地名起源の説話。青森県夏泊半島にある椿山椿神社の縁起。
椿山の港の住んでいた美しい娘が、毎年この港へ来る他国の船頭と恋仲になった。娘は、その船頭が国へ帰る時に、「都の女は椿の油を髪にぬってつややかにすると聞きいた。北国にはツバキ(椿)の木はない。今度来るときには、土産にツバキ(椿)の実を持ってきて欲しい。」と頼んだ。
併し船頭は、次の年も、更にその次のも娘のことを気にかけながらも椿山の港へ行かなかったし、便りも出さなかった。そのため娘は恋焦がれたあげくに絶望して海に入って死んでしまった。港の人達は、横峰というところに娘を葬り、墓の印に木を植えて弔なった。
3年後、船頭はこの港へ娘への土産の椿の実を持ってやってきた。そして、娘が死んだことを知ると嘆き、娘の墓の周りに土産のツバキ(椿)の実をまいて、血の涙を流して泣いた。
そのツバキ(椿)の実が芽を出し、やがてツバキ(椿)の林となり、見事な花が咲きいた。ところが、港の人がその椿の枝を折ると、清らかな女が現れて、それを制止した。そのことがあったので港の人々は娘の霊を神に祭った。
現在は、神の祠は、横峰から別のところに移されている。かたわらに椿神社の祭神をしるした立て札がある。猿田彦と天鈿女命が祭られており、横峰嘉兵衛の女房玉女に毎夜神がのりうつり、「椿大明神と称えよ」とのお告げがあったので、椿神社と称えた、と記されているそうである。
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