ヒナゲシ (雛罌粟)

とある公園、原っぱの花畑では、ヒナゲシ(雛罌粟)が美しさを競い合い咲いていた。花びらをみると、華奢で、薄い紙で作った造花のようにも見える。

ヒナゲシ(雛罌粟)をみると、歌手のアグネス・チャンさんの日本におけるデビュー曲の「ひなげしの花」を思い出してしまう。高い音から始まるこの歌を、澄んだ声、たどたどしい日本語で歌ったことで、非常にインパクトがあり、1度聞くと印象に残っている。

カメラのファインダーを覗きながらつい口ずさんでしまう。

「ひなげしの花」 作詞 山上路夫 作曲 森田公一
丘の上ひなげしの花で 占うのあの人の心
今日もひとり 来る来ない 帰らない 帰る
あの人は いないのよ 遠い街に行ったの
愛のおもいは 胸にあふれそうよ 
愛のなみだは 今日もこぼれそうよ

あの純真な可愛いさは、今忘れてしまった心の何か大事なものを感じる。多分忘れてしまっちゃいけないと思う。

画像雛罌粟の「雛」は小さい、可愛いの意味しており、ケシ(罌粟)の中では小型で可愛い花であることからついた。

漢名の雛罌粟(ヒナゲシ)の罌は液体を入れる口のつぼんだ甕の事で実の形を表わし、種子がアワ(粟)に似ているのでケシ(罌粟)と漢字で書かれる。又、ケシ(芥子)とも書かれ「芥子粒のように小さい」と表現されるように、カラシナ(芥子菜)の種子もケシ(罌粟)()の種子もきわめて小さい事から意識的にか、間違ってか、芥子の字が当てられたようである。

ケシ(罌粟)の名の由来はケシ(芥子)の種とケシ(罌粟)の種が混同されてケシ(芥子)から音読みのカイシとなり、最終的にケシ(罌粟)となったと言う説がある。

けし科ケシ属の1年草で、学名は「Papaver rhoca」である。属名の「Papaver」は、ラテン語の古名の「papa(幼児に与えるお粥)が語源になっており、ケシ属の乳汁に催眠作用があるため、乳汁を粥に混ぜて子供を寝かしたことや、 また、花弁が薄いので、紙のパピルスに似ていることが由来ともいわれている。 種名の「rhoca」は、ギリシャ名で花がザクロ(石榴)と同色のためを意味している。

画像その中でもヒナゲシ類は丈夫で繁殖力が強く、ヨーロッパでは小麦畑に生える野草、ないしは雑草としてコーンポピーの名がある。

ヒナゲシ(雛罌粟)はフランスではコクリコと呼ばれ、麦畑などに一斉に咲く様と睡眠作用のある薬草でもある事から、与謝野晶子はフランスを旅して次のように詠んでいる。「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟 我も雛罌粟」。

別名を虞美人草とも呼ばれ、中国の楚王であった項羽の愛妾であり、中国三大美人の一人である虞妃(虞美人)が、項羽と劉邦の最期の戦い(垓下の戦い)のときに、項羽は愛する虞妃とともに劉邦の大軍に周りを包囲された。項羽は別れの宴を開いてから最後の出撃をし虞妃も自刃して殉じたが、彼女のお墓にヒナゲシ(雛罌粟)の美しい花が咲いた。 そのため人々はこの花を「虞美人草」と呼んだという伝説がある。

ヒナゲシ(雛罌粟)を含むケシ(罌粟)のルーツは中近東周辺と考えられ、東と西に広がり、日本には中国を経て、桃山時代から江戸時代にかけて渡来したと考えられ、宗達が描いた有名なケシ(罌粟)の屏風絵が残っている。ヨ-ロッパでは5,000年近く前のミノア文明の頃に既に登場し、ギリシャ神話では眠りと忘却のシンボルとして描かれ、その頃から薬草としての沈静、睡眠作用があった事が知られていたようである。

画像草丈は50cm~1mくらいになる。葉は根元から出る葉の根生葉で、羽状の切れ込みがあり無毛である。開花時期は、4月上旬ごろ~6月中旬ごろであり、 初夏に花茎を出し、上の方でよく枝分かれし、茎の先に直径5~10cmの赤や白、ピンク、黄色などの4弁花を開く。花びらはケシ(罌粟)やオニゲシ(鬼罌粟)に比べると、非常に薄く華奢で、皺があり薄い紙で作った造花のようにも見える。蕾は最初は下向きで表面に毛が生えており、咲くときに顔を上げ、2つに割れて花が出てくる。その風情がなんとも不思議である。早咲き遅咲きがある。現在種子として売られているものには、八重咲きの品種が多い。

ヒナゲシ(雛罌粟)は、モルヒネを含まず、アヘンが採れないので栽培は自由にできる。薬草として古くから栽培され、沈静・催眠・痛み止めなどに用いられている。中国では、開花直後の花を乾燥させたものを「麗春花」とよび、煎じて咳止めに用いるが、作用が強いので使用には十分な注意が必要である。

夏目漱石の後期の作品に「虞美人草」がある。夏目漱石は小説を書き上げ、その題名をどうしようか考えていた時に花屋の前を通りかかった。漱石は気に入った花を見つけたが、名前が分からないので花屋に尋ねた。花屋が「虞美人草」と答えたので、小説の名前を「虞美人草」に決めたそうある。

モネは、絵画「ひなげし」の中で、ヒナゲシ(雛罌粟)の咲く野原を散歩する、妻のカミーユと息子ジャンを描いている。

画像ヒナゲシ(雛罌粟)に関わるギリシャ神話。
穀物の女神デメテルは、行方不明の我が子ペルセフォネを捜し求めていたが、なかなか見つからないのでとても悲しんでいた。デメテルが自分の仕事を放棄してペルセフォネを捜し回ったので、大地は荒廃し作物がとれなくなった。その様子を見た眠りの神は、デメテルを慰めようとポピーをつくって与えた。そのおかげでデメテルは気力を回復し、荒廃していた大地の小麦畑も元通りになった。         

プエルト・リコの民話「野の花」
1787年の大地震後、サン・フェリペ教会が再建されるまでミサはモンセラーテ聖堂で行われていた。その頃、毎週日曜日の定刻に姿を現すマリアという名の娘がいた。マリアはいつも右側の髪にヒナゲシ(雛罌粟)の花を挿していたので若者達はマリアのことを「野の花」と呼んでいた。
 
サン・フェリペの祭の時、マリアを聖堂の前で見かけて一目惚れしたアントニオは、マリアが宿泊している自分の母親の親友フワナの家に行き、マリアに紹介してもらった。マリアはフワナに、「前にもアントニオに夢の中で会った事がある。」といった。不思議がるフワナにマリアは説明した。「聖堂に来るたびに、よい人を巡り会えますようにと聖母様にお祈りしていた。すると、去年彼の夢をみた。そして今年も彼の夢をみた。きっと聖母様のお導きである。」といった。それから4ヶ月後、アントニオとマリアはモンセラーテ聖堂で結婚式をあげた。

画像イギリスのポピー・デーについて。
正式には、戦没者追悼記念日(フランスでは休戦記念日)という名称で、11月11日に1番近い日曜日である。19181年11月11日に第1次世界大戦が停戦となったことに由来している。 ロンドンの官庁街ホワイトホールにある戦没者記念碑の前で記念式典が行われている。

黙祷後、ヒナゲシ(雛罌粟)の花を胸につけた参列者が、記念碑の前に造花の赤いヒナゲシ(雛罌粟)の花輪を捧げる。この造花は、第1次世界大戦の激戦地フランドルの麦畑に咲いていた花をかたどったもので、戦場で血を流した兵士を象徴している。この花を胸につけることで戦没兵士への哀悼の気持ちをあらわしている。これらの造花の収益金は、退役軍人会の収入になるという。

花言葉は慰めである。

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