キュウリ (胡 瓜)

キュウリ(胡瓜)に、味噌や塩をつけて食べるのが好きだ。

今頃の季節になると思い出す。小学生のころ学校が終わると、お腹の空かして、一目散に家に帰り、鞄を置くのもそこそこに、裏の畑に行きキュウリ(胡瓜)を捥いで、おやつの替わりに味噌や塩をつけて食べた記憶が残っている。それは「美味しい」というよりも「美味かった」という印象が強かった。

戦後のまもなく色々なものが食べられなかった時に、この時はそれしかなかった。満足なおやつなどなかった時代だった。

画像キュウリ(胡瓜)の名は、もともと「木瓜」または「黄瓜」と書いたことによる。現在では未熟な実を食べる事から知られていないが、熟した実は黄色くなる。現代の中国語では「黄瓜(ホワングワ)」、「青瓜(チングワ)」などと呼ぶ。現在日本語で「木瓜」と書くとほとんどの場合は、ボケ(木瓜)の花のことを指し、キュウリ(胡瓜)のことは指さない。

うり科キュウリ属の蔓性1年草、及びその果実のことで、学名は「Cucumis sativus」である。属名の「Cucumis(ククミス)は、ラテン語の「cucuma(壷形の容器)」が語源にちなみ、種名の「sativus 」は「栽培された、耕作した」を意味している。かっては熟した実を食用とした事もあったが、甘味が薄いために余り好まれず、現在では未熟な実を食用とするようになった。

画像インド北部やヒマラヤ山麓原産で、3,000年前から栽培されており、世界では最も食べられている。日本には平安時代に渡来し栽培される。胡瓜の「胡」という字は、シルクロードを渡って来たことを意味している。

温暖な気候を好むつる性植物。種子は暗発芽種子である。雌雄異花ではあるが、単為結果を行うため雄花が咲かなくとも結実する。主に黄色く甘い香りのする花を咲かせるが、生育状態や品種、温度条件により雄花と雌花の比率が異なる。果実の生長は非常に早く、日本では収穫作業が1日に2~3回行われる。(これには、日本市場のキュウリの規格が小果であることも一因である)夏は露地栽培、秋から初春にかけては、ハウスでの栽培が主流となり、気温により暖房を入れて栽培することもある。

全体の90%以上が水分で、栄養素はビタミンC、カロチン、カリウムなどが含まれるが含有量は非常に低い。その低さは世界一栄養が無い野菜としてギネスブックに登録されるほどである。生ではサラダ、寿司(かっぱ巻き)、酢の物、和え物などで供されるほか、ピクルス、オイキムチ、奈良漬け、醤油漬けなどの漬物の材料として使われる。日本の料理で加熱調理されることは少ないが、中華では煮物や炒め物としても利用される。

画像家紋の「木瓜」は、胡瓜の切り口を図案化したものとの説もある。 祇園信仰において、スサノオ(牛頭天王)を祭神をする八坂神社の神紋がキュウリ(木瓜)であり、キュウリ(胡瓜)の切り口と似ていることから、祭礼の期間はキュウリ(胡瓜)を食べないという地方(博多の博多祇園山笠など)もある。

キュウリ(胡瓜)は河童の大好物だとされえいる。 また、江戸時代は、輪切りにすると徳川家の家紋である葵の御紋に似ているところから、それを食べるのは不敬であるとして、キュウリ(胡瓜)を輪切りにされることは慎まれていた。

ザクザクとは胡瓜揉みのこと。ザクザクはそれを切る音で上方落語などで使われる。

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この記事へのコメント

2011年08月16日 17:28
こんにちは
きゅうり、夏の美味しい野菜ですね
生のまま、冷やして塩を付けながら
食べる。
向こうが見える位に薄く刻み塩で揉む
塩もみ、此れ好物です。
昔は、柵などに這わせた物と地面に
直に這せた地きゅうりが有りました
此の地きゅうりは大きく成ると
長さが30センチからになり主に
味噌汁や漬物に、味は瓜其のままの
味で美味しかったです。
思わず、長く書いて仕舞いました
失礼しました。
2011年08月17日 09:56
コメント有難う御座います。
私の家も終戦まじかに近くの小学校に焼夷弾が落ち、その影響で被災してしまいました。その後すぐ、その地に祖父が家を立て、裏の焼け跡を畑にして、麦や玉蜀黍、胡瓜、茄子、トマトなどを植えてありました。ですから、今頃になると、よく裏の畑にいきなっている物をもいで、夢中で食べていたことを覚えています。

もう50年前の思い出です。

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