ヒヤシンス (Hyacinth)

ヒヤシンス(Hyacinth)が綺麗に咲いていた。

甘い香りがして華やかだ。

画像ヒヤシンス(Hyacinth)の名前は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスから由来している。
ヒアキントスは、スパルタの近くのアミクライの町の由緒ある家系に生まれた美少年だった。彼は美しいだけでなく、スポーツも得意だった。

太陽神アポロンと西風の神ゼフュロスは、彼の愛を得ようと争っていた。少年は移り気なゼフュロスよりアポロンの方が好きだったので、この争いはアポロンの勝利に終った。ヒアキントスはアポロンの寵愛を受けて、彼に付き従うようになった。
 
ある日、2人が円盤投げを楽しんでいた時に、アポロンの投げた鉄の円盤がそれて、ヒアキントスの額にあたり、ヒアキントスは死んでしまった(失明したという話もある)。アポロンが投げた円盤がそれたのは、少年に思いを寄せていたけれどもアポロンに負けてヒアキントスの愛を得られなかった西風の神ゼフュロスが、嫉妬から風を吹きつけていた。
 
嘆き悲しむアポロンの前で、ヒアキントスの傷口からほとばしり出た血に染まった大地からは、ヒヤシンス(ヒアキントス)の花が咲き出した。

画像ヒアキントスは、元来はギリシャの先住民族の植物神であったと考えられている。そして、ヒヤシンスの花は血の色をしており、花びらには嘆きの声「ああ!」をあらわす「アイアイAI AI」という文字が模様となってついているという言い伝えもあるが、この花は今日のアヤメ科の赤い花の一種であると考えられている。

このエピソードから花言葉は「悲しみを超えた愛」となっている。

ゆり科ヒヤシンス属 に属する球根性多年草で、学名は「Hyacinthus orientalis」である。属名の「Hyacinthus」はヒヤシンス属は、ギリシャ神話に出てくる青年の名前「Hyakinthos」にちなみ、種名の「orientalis」は「東方の、東部の」を意味している。

画像耐寒性秋植え球根として扱われ、鉢植えや水栽培などで観賞され、春先に香りのよい花を咲かせる。地中海東部沿岸からイラン、トルクメニスタン付近の原産地である。

1299年~1922年、名前の通り、トルコ系のオスマン(オットマン)によって建国さられたイスラム諸王朝の一ツであるオスマン帝国で栽培され園芸化された。スルタンムラト3世は1583年に山地から5万本のヒアシンスをイスタンブールに集めさせたという。

16世紀前半にはヨーロッパにもたらされ、イタリアで栽培されていた。16世紀の末にはイギリスに伝わり、園芸愛好家に注目されて、18世紀から19世紀にかけて盛んに育種が行なわれ、フローリスツ・フラワーの一ツとなり、数百の品種が作られた。

画像日本には1863年にフランスからチューリップ(Tulipa)とともに渡来した。併し、イギリス系のヒヤシンス(Hyacinth)は20世紀始めには衰退し、現在は品種もほとんど残っていない。

これとは別に、現在普通に栽培されるのは地中海北東部原産のダッチヒヤシンスで、18世紀から主にオランダで改良され2000以上の栽培品種が作出された。これは1本の茎に青、紅、白、淡黄色などの花を多数つける。もう1つローマンヒヤシンス(Roman Hyacinth)と呼ばれる変種があり、耐寒性はあまり強くなく、やや小さい青や白の花をつける。

ヒヤシンス(Hyacinth)に似たムスカリ(Muscari:ブドウヒヤシンスともいう)は小さいブドウ(葡萄)の房状の花序を付け、やはりよく栽培される。

ヒヤシンス(Hyacinth)は「風信子」、「飛信子」という和名がある。香りが風によって運ばれるさまを表している。「飛信子」なんかは「ヒヤシンス(Hyacinth)」の音からの多分当て字だろう。

画像話は変わりオウィディウスが書いたヒヤシンス(Hyacinth)に関わる「変身物語」。
勇者アキレウスの戦死後、最高の勇者に与えられるという遺品の武具をめぐってオデュッセウスとアイアス(テラモンの息子で大アイアスと呼ばれている。同名の戦士であるオイレウスの息子は小アイアスと呼ばれている。)が争い、オデュッセウスが勝った。アイアスは憤りを抑えることが出来ずに自害した。

すると、血で赤く染まった大地の緑の芝草の間から、ヒアキントスの血から生まれたのと同じ真っ赤な花が咲き出した。花びらの真ん中には、「AIAI」の文字が浮かび上がっていた。それは、ギリシャ語で「悲しい」を意味する言葉であり、アイアスの頭文字でもあった。

俳諧では、「風信子」「夜香蘭」とも呼ばれ、ともに春の季語である。

花言葉は、競技、遊戯、遊び、悲哀、嫉妬、運命などである。

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